藤江 顕はどうやって英語が口からでるようになったか?


なんとか大学にすべり込んで、華のない学生生活を送る訳ですが、精を出したのはアルバイト。毎晩、午後6時から終電まで働いてました。そして、そのバイト代を貯めては海外旅行に出かけていました。なんだかんだ言って、外国に興味があったんですね。

安宿の大部屋で出会ったよその国の人たちに日本のことを説明できないもどかしさ、うまく注文できなくて欲しいものが食べられなかった悔しさ、そんな体験もバネにはなったと思います。

そして、いよいよ就職活動の時期です。超売り手市場の時代なのにスマートな職は軒並み落ちて、最後に引っかかったのが発展途上国の開発に携わるJICAの仕事でした。

今では考えられないのですが、当時は「英語なんて、働いているうちに身につくよ~」というのんびりした時代。そっかー、と真に受けて特段の準備もしないで入社しました。

まず困ったのが電話。電話は音だけなので貧乏旅行をしている時のように身振り手振りや筆談ができない。さらには「少々お待ちください」といったフレーズが分からない。(何度も言いますが、外国語は「発明」できないので、覚えるしかない)

そして、出張先での交渉。言葉が口から出てこない。読むのは分かる、聞くのもだいたい分かる、でもしゃべれない、という日本の学校英語で育った者の典型でした。

落ち込むし、通勤電車で本を読んで勉強したりはするのだけれど、なかなか口から出るようにはならない。(今から考えるとむちゃくちゃ非効率なやり方をしていた。サンシャインの生徒さんは大丈夫ですよ。このような反省に立っていますから)

しかし、ある仕事をきっかけに英語が口から出るようになったのです。
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それは、お金の回収でした。

これも今では考えられないのですが、当時は日本での研修に招いた人の経費の一部を担当職員が立て替えないといけないことがあったのです。さらに困ったことに、その経費を私ではなくて研修生に振り込んでいたのですね。役所仕事の良し悪しはさておいて、彼・彼女に振り込まれたお金を返してもらわないといけない。

彼らからすれば、自分に振り込まれたお金をなんで渡さないといけないのか、よく分かりませんよね。当然、突っ込んで理由を尋ねてくる、断られる。明日は飛行機に乗って母国に帰ろうという人たちですから、返してもらえないと数万円を失うことになる。こっちも必死です。

こんなことばかりやってれば、言葉が口から出るようになりますわな。何しろ「言わない」=「数万円を失う」ですから。3単現のSなんかに構っていられない(おっと)。

その仕事をきっかけに、「日本語を英語に訳してから、その文を口で発音する」というやり方から、「ともかく口から音を出す」というやり方に切替えができたように思います。

やはり言葉というのは「必要」がなければ使えるようになりません。

日本で暮らす分には英語を使う必要に迫られる状況にはなかなか遭遇しません。自分で意識して作る必要があります。

サンシャインの広告をご覧になったことがある方もいらっしゃると思いますが、「扉を開けたら外国!?」という宣伝文句があります。私たちは場を含めた環境作りを大切にしています。たしかにお勉強としての英語は畳の公民館でもできるのでしょうが、日常生活との境目がなさすぎると、日本語と英語の回路の切替というスキルを効率的に養いにくいです。サンシャインのお子さんは、扉を開けたら英語、ということが無意識に習慣づけられているので、言語回路の切替が上手です。ですから、街で外国人に会った時に英語に切り替えることができるのです。CDを聞いて単語を覚えるのとはここが違います。

大人の場合は、目的・動機が大事ですね。3ヶ月後に海外に転勤という強い動機は一番効果的で、実際サンシャインにも何人かそういう方々がいらっしゃいますが、皆が皆ある訳ではありません。「映画を字幕なしで見てみたい」、「海外旅行で現地の人と交流してみたい」、「東京オリンピックの時にボランティアをしたい」といった何で英語を勉強するのかという目的・動機、それが達成できた楽しい状況を想像して続けていきましょう。


(この項  おわり)

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